そんな怒りが、役所に向かうとき、いつもイライラし腰が重くなる原因となるのだ」 夫と妻との心のへだたりは大きくなる一方で、夫婦の会話は逃げ道のないものになっていた。
 「明日のことがわからないお先真っ暗な状態を、私一人に押しつけられているのが我慢できないのよ。
私一人というより、なぜ女だけが、こんな負担を負わなければならないのかがわからないのよ」「あなただって言ってるじゃない。
大学時代の優秀だった仲間も、女は肉親の介護役を強いられて、泣く泣く会社を辞めているって」「そういう世の中っておかしくないの?」ついにある夜、長い口論の末、妻は夫に体当たりをしかけ、室内での立ち回りになった。
台所に逃れた夫は手鍋で彼女をなぐった。
鍋の柄が折れた。
 Y氏がこのように私生活を表沙汰にしたことに対し、男性の多くは「すごいね。
公表することを奥さんは認めたのかい?」と質問したという。
 もうひとつ、一九九五年に出版されて早々から話題になった本を紹介したい。
『黄落』(S氏著、)という、ノンフィクションータッチの身につまされる小説である。
 著者はすでに還暦直前の初老。
この本の帯の表には「父九二歳、母八七歳。
老親を身近に引きとってご一年、凄絶な介護と試練の日々が始まった」とあり、裏には「小説家という因果な商売をやっていなければ、一日も早く忘れてしまいたい現実でした。
しかし、小説家である以上、避けて通れない、書かなければいけない、そういう使命感に突き動かされて書いたというのが本音です」とある。
みずからのこの葛藤をさらけ出さなくては、これまでの自分の作品はすべて嘘になってしまう。
ぜひともこの思いを、この真実を多くの人びとと共有したい、ということなのだろう。
 骨折や痴呆に加え、親のほうの夫婦関係の悪化を経て、老親介護の負担に息子夫婦は心身をすり減らし、自分たちの人間関係も極限状況にまで追い込まれる。
とうとう妻の辛苦をみかねた夫は、ある日、離婚してはどうかと自分から妻に申し入れるが、妻からは、あなたは何もわかっていない、と拒絶される。
 父親の老いらくの恋に、どう対処してよいか悩む息子。
夫婦関係のこじれから食を絶って自死を選ぶ母の姿など、練達の文章による「老々介護」の日々の人間模様の描写により、終章まで一気に読ませる。
 ちなみに五月に出版されたこの本を、ベストセラーとなったその年の一〇月に私はロンドンの日本書籍店でも平積みにしてあるのを見かけた。
海外ではたらく日本の企業戦士も中高年になると、最大の気がかりは老親介護の問題なのだ。
 類書はこれまでもいくつかあるが、多くは娘=女性によるものが多い。
この本は日本では珍しい、息子=男性の立場から書かれた老親介護の物語という意味でも、記念碑的なものだ。
 この本のなかにも、とうとう父親を老人保健施設に預け、ある日、施設の地下のコインランドリーベ洗濯に著者がゆくくだりがある。
そこでたまたま顔をあわせる五〇代、六〇代、七〇代の三人の男たち。
いずれもが、親や配偶者をこの施設に預けていて、その日、洗濯のためにやってきたのだ。
 厚生省の調査では、「寝たきり期間」は一年以上圭二年未満が二七%、三年以上が四七%。
介護者の年齢は、六〇〜六九歳が二七%、七〇歳以上が二二%。
介護者が六〇歳以上であるというのを合計すると四九%と、約半数を占める(五〇歳以上だと七三%。
国民生活基礎調査、一九九二年)。
  「老々介護」の深刻さが、数字にもはっきりと表われている。
 超高齢社会の到来は、日本の家族関係にも大きな影響を与えつつある。
この小説の主人公のように、親子関係が六〇年も続くのである。
かつて親孝行が最大の徳目であった時代、「親孝行、したい時には親は無し」と教えられたものだ。
 ここでふと考える。
だからじつはこの時代には、多くの日本の子どもたちはあまり親孝行しなくてもよかったのではないか。
より正確にいえば、したくても多くの場合できなかったのではないか。
 たとえば、法律(旧民法)で親の扶養を子ども(とくに長男)に強固に義務づけていた大正期二九二〇年ごろ)の平均的なライフサイクルでみてみよう。
 長子は三三・七歳で父親と死別する(父六一・一歳で死亡、父二七・四歳で長子誕生)。
そして長子が母親と死別するのは三七・九歳である。
じっさいには短命、長命といろいろとバラツキはあるわけだが、統計的な平均値からいうと、四〇歳前に子どもは親と死別することになる。
 ちなみに、当時は平均して一家に子ども五人というのがふつうだった。
この末っ子はなんと二丁四歳で父親と死別、母親とは二五・六歳で死別する。
だから当時は父親は末っ子の結婚式にはでられないのがあたりまえで、末っ子の結婚式は長男がとりしきったものだ。
 これでは「急いで」親孝行しておかなければ間に合わない。
刻苦勉励して早く立身出世し、親に楽な暮らしをさせなければと。
そしてたいていの庶民には、それがかなわない。
「親孝行、したい時には親は無し」とは、まさに現実がそうだったのだ。
 そして親孝行の主体は経済的な扶養、つまり金銭面での援助であって、長期にわたる介護の苦労はなかった。
今日、経済的扶養は社会連帯による年金制度によって、子ども世代の負担はおおいに軽減されたが、代わって老親の長期間にわたる介護問題が登場してきた。
 さて現在の親子の年齢関係はどうだろうか。
一九九一年のライフサイクルでみてみよう。
平均寿命をもとにすると、長子は四七・三歳で父親と、五五・四歳で母親と死別する。
母親の場合、死別する時期は大正期より一七年間も遅くなっている。
 さらに平均余命(その年齢まで達した人が、あと何年生きられるかの年数)でみてみると、もっと現実に近くなる。
 いま八〇歳まで存命するのは、男で約五割、女が約七割である。
ところで八〇歳の平均余命は男が七・〇九年、女が九・一八年。
すると長子は、父親が二九・九歳、母親が二七・四歳のときに生まれるから、約半分の長子は父親と死別するのが五七・二歳、約七割の長子は母親と六一・八歳(もう定年)で死別、ということになる。
大正期の平均よりも二十数年遅れる。
 この違いは大きい。
親孝行するための時間は、あり余るほどある。
 かつては「親孝行、したい時には親は無し、されど墓石に布団はかけられず」という時代。
要するに「親孝行」とは「親がまだ若く元気なうちに楽しみを与える」ことだった。
しかも、たとえできたとしても、子どもが若いあいだの短期間だけで、親はある時期に急にいなくなる。
 ところがいまや「親孝行」は「親がうんと年をとって弱ってから介護すること」に内容が一変した。
そして子ども自身も老いてから、しかも長期間の「老々介護」。
この「親孝行」の中身の違いは、とてつもなく大きい。
 ところでついでに「親孝行」の中身を考えてみよう。
すでに「親孝行」という言葉自体、私のような一九四〇年代生まれの世代だけに通用する感覚なのかもしれない。
成人した子どもたちからみても、いまのところ厚生年金などは手厚いから、子どもがそうとうな年になっても、たとえば持家のある親なら、暮らし向きに困ることもなく、けっこう生活をエンジョイしていたりする。
とくに資産家でなくとも、共働きで定年を迎え、夫婦二人とも厚生年金をもらっている親が、結婚する子どもに住宅資金に千万円単位の金を用立ててやる、などの話はザラにある。

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